心の旅・そこは市中の山居であった。・・おうち茶道のすすめを読んで

古希を迎えようとしている歳に、茶の湯に興味を持ち、「ビジネス茶道」に参加。その「ご縁」で心の旅・京都茶の湯ツアーで、茶の湯の種蒔きに触れ、それが我が心の琴線をゆるがし「茶の湯」の門を叩くことになった。

お稽古に向かう住宅街の坂道を登り切った場所に「市中の山居」があった。その名は茶瞳庵(ちゃとうあん)」の茶室である。
私の茶の湯の先生、水上麻由子(宗恩)先生が、「おうち茶道のすすめ」の本を出版された。

今年になり茶道の本の出版のお話は、お稽古の度に聞かされていたが、詳細は分からなかった。難産の末、出版当日、朝一番で大手の書店に出かけた。


(「日日是好日」の森下典子さんの本の隣には、「おうち茶道のすすめ」が置かれていた。)

なんと!森下典子さんの著書の隣に置いてある。

朝一番の誰もいない書店で「おうち茶道のすすめ」を発見したときの感動は、今でも鮮明に覚えている。

「おうち茶道のすすめ」の真髄
本書を読むには、「おわりに」から読み始めることをお勧めします。
その訳は、単なる「おうち茶道」のすすめというハウツー本ではないことが分かります。

その「おわりに」の冒頭にエピソードがあります。

当時、新進気鋭の芸術家の岡本太郎氏が大徳寺での茶をテーマにした会での発言、

「茶はどんな格好をして飲んでもよいのではないか、形にとらわれるのは無意味である」

著者は、「茶のこころは、守らなければならない「式法」ではなく、「問い」、自立した精神で、自らの内なる心と対話することによる気づきを重ねること」だと岡本太郎氏のエピ―ソードを引き合いに、語っている。

 

「おうち茶道もしかり、「茶のこころ」の本質を忘れてはならない。」と!

茶道の精神性への気づきとご縁
私は、著者である先生が主宰の「ビジネス茶道」だけでは物足りなさを感じ、茶道へ入門した。

 

最初は、作法を覚えるのに精一杯、次のお稽古に行っても、忘れた作法を思い出すだけで冷や汗をかいてました。

古希を超えたおじさんの身体が、茶道の所作に就ていけず、悲鳴をあげ、焦りました。

茶道の精神性を学ぶ状況ではなかった。

ある時、先生が述べてる「茶のこころ」に触れる茶の湯京都ツアーに参加した。

そこで「茶のこころ」の「種」と触れ合うことで、私のこころが、目覚めてくるものを感じた。

それは、茶の歴史、大徳寺での座禅、茶道の心と歴史、楽美術館での本物の良さを観る眼、
禅と茶道、禅と工藝、そして民藝の創始者・柳宗悦の「茶と美」と
果てしなく心の脈動が続く。

 

数々の茶のこころの「種」は、私の心の中で眠っていた別世界の扉、「心の旅」の鍵穴が、少しずつあけられた。

その世界は、手にすると「心豊かな世界」が待ってる予感がした。

これは、私にとって衝撃であり、大発見であった。

 

この世界を教えてくれたのは、師匠だけでなく、

社中のお稽古仲間に触発された影響が大きく、感謝の念で一杯です。
「ご縁」と言う禅のこころを感じた瞬間でもありました。

そこで、初心者ならではの興味が募り、それぞれの「種」を一つ一つを紐解き、

関連本を読んだり、美術館へ足を運んだりして育てていくことにした。

又自分の言葉で言語化できるようにアウトプット(ブログ)することにした。

今読み返してみると、当時の心の変遷が良くわかる。

「茶のこころ」は自らの内なる心に気づくこと・内省する時間をもてること、

自然の恵みにより命を頂きそのことに感謝するという「生きていく上での羅針盤」です。

全くそのとおりで、腹落ちするまでに時間を要した。

「おうち茶道」をとおしても、

人生とって大切な「茶のこころ」へ近づくことができると、

「豊かな心」と言う別世界が垣間見えてくる。

 

茶道の特有な精神性と利休
利休が生きたのは、戦国時代、キリスト教の教えやミサを利休の感性で咀嚼し、より儀式的かつ精神的な意味合いをもたせて、後に茶聖といわれた。

著者は、茶道とカトリックの両方の教えを受けており、その視点で「茶道は、キリスト教儀式の影響を受けていた。」と語る。著者ならではの、非常に興味深い考察である。

その代表例が、
①利休が考案した「吸い茶の作法(濃茶の回し飲み)」と「ミサでのワインの回し飲み」
②蹲(つくばい)とカトリック教会の聖水盤

私は、カトリックの信者ではないので、分かりませんが、著者ならではの考察には説得力がります。

利休は、茶のこころが宿る神聖な茶室を考案した。その最たるものを、

京都大徳寺の国宝茶室「待庵」の写しである“平成待庵”を、茶の湯京都ツアーで拝見できたことが思い出される。

 

こころ豊かな世界を得るには
「掬水月在手」(みずをきくすればつきてにあり)

お軸は「掬水月在手」(みずをきくすればつきてにあり)

水を手で掬(すく)えば、空の月が、その手のひらの中に映っている。

その意味するところは、何か行動を起こすことで、はじめて結果が得られる。

さらに、水や月に心を寄せ、自然と一体になる心情を持ちたいです。

私は、茶の湯の世界は、全くの素人でしたが、ビジネス茶道をきっかけに、茶道に入門して、

自分の知らない世界を垣間見た。それは、人生にとって幸せを得る「こころ豊かな世界」でした。

 

自分で行動を起こすことで、その世界を知ることができた。

初心者には、遠いように感じるお茶の世界であると思いますが、

一歩踏み出すことで「おうち茶道」を楽しむことをお勧めします。


「茶道は、宝物のつまった玉手箱」ちょと覗いてみましょう!

茶道のお稽古を続けると、日々の小さな気づきや、人生を変える程の大きな気づきもある。

気づきという「宝物」の「種」が沢山あり、本物の宝物にするには、自分自身が日々精進することが必要である。

精進した結果、本物の宝物のつまった「玉手箱」の中には、豊かな心が一杯である。

それは、日々の平安と安寧を感謝し、願う、ささやかな祈りの心でもある。

 

おうち茶道をやってみた
おうち茶道は、自分のペース、自分の好み、自分の場所で楽しむ茶道です。

私の場合は、自宅で仕事に疲れた時、自分好みの茶碗(小鹿田焼の飯茶碗)で、

ダイニングのテーブルで、抹茶を点てます。


母が残した「茶碗」やお気に入りの敷物、抹茶も頂き物

「おうち茶道のすすめ」は、流派を問わず、茶の湯文化の本質が書かれており、

何処から読んでも学べるし、単なるハウトゥーものではない。

日本の伝統文化である茶道を「もっと自由に、楽しく」をモットーに

あたらしい茶道、「おうち茶道」を提唱している。

私もこの本をバイブルとして、お稽古に励み、茶のこころの真髄に迫れるよう精進していくつもりです。

「おうち茶道のすすめ」水上麻由子著