コロナ禍で外出自粛が続く中、習い始
めた茶の湯の先生から、夏の茶花に使
われる朝顔の種を頂いた。
梅雨入り前の種まきから2ヶ月、やっ
と一輪の花が咲いたが、この間に未だ
経験したことない別世界が広がっていた。
今年の始めにコロナ禍を予想した人は
誰もいない。
習い始めた茶の湯のお稽古は、2月中
旬が最後で、緊急事態宣言の発令後、
仕事場である都心の事務所も在宅勤務
になってしまった。
暦の上では立秋を過ぎた8月上旬、
待ち焦がれていた朝顔が一輪咲いた。
その朝顔が、葉っぱの中から恥ずか
しいそうに顔を出し、色んなことを
囁き始めた。
私達お花は、コロナ感染はしない。
人間社会は、大混乱の様子だねぇ!
朝顔が囁いたこと
・元には戻れない大変革時代の始まりです
昭和、平成時代で用いられた成長・
経済効率一辺倒から環境や福祉にも
配慮した成熟した社会への大変革
時代への変換を突き付けられた。
令和はデジタル化を含めた大変革時代
の始まりです。
今までの企業のあり方や社会システム
を根本的に見直し、企業は新たな
ビジョンとデジタル化をとり入れた
会社形態を独自に作り上げることが
必要となってくる。
・人の生き方を考える
外出自粛の生活で、自宅での生活が多
くなり家族とのコミュニケーションで、
幸せや生き方の見直す時間が持てるよ
うになった。
毎日通勤で満員電車での通勤し、東京
都内で仕事をしなくてもいいことが
テレワークで実証できた。
大都市圏への一極集中の生活から、
地方への回帰での生活スタイルの良さ
を見出し始めるきっかけとなっている。
・社会の価値観の変化と自分の生き方
今年になってコロナ禍の中、今までの
「日常」が「非日常」になり、不安や
ストレスが溜まります。
こんな中、本当の幸せてなんだろう?
お金を稼ぐこと、セレブな生活をする
ことだけでしょうか・・・
以下、私の感じたことです。
昨年の秋から茶の湯の茶室でのお稽古
もオンライン茶道に切り替わった。
茶の湯のお稽古は、リアルな茶室での
お軸や茶花や茶道具等に季節感があり、
先生と弟子の方々とのコミュニケー
ションが無くなってしまった。
夏の風物詩である「七夕」「花火」
風鈴」などは、季節感を醸し出し、
我々の暮らしや文化を情緒豊かに
してくれ今までの日常の良さに
改めて気づかされます。
でも元の「日常」には戻れません。
団塊世代の自分は、残された人生を
どう生きるかを自問自答するばかり。
先日、サラリーマン時代に受けた
「当事者意識研修」での言葉が蘇って
きた。
”自分の人生は
自分が掌握している”問題は我にあり
自分の人生を他人のせいに
することなく生きいきと生きる
はっと気づきました。「利他の心」を。
自分が何者かをわかり、自分が今ある
のは先祖があるからで、先祖を敬い
感謝することです。
その「自分」が、ワクワクすることを
実践することにより他人への幸せに繋
がることがある。
「利他の心」は、京セラの創業者・
稲盛和夫会長が経営理念に掲げ、
非常に参考になります。
コロナ禍の中、朝顔の囁きは続きます。
茶の湯を学ぶ者として有名な逸話を外
す事は出来ない。
逸話の原典「茶話指月集」(さわしげつしゅう)
を読んでみた。
・朝顔、千利休と豊臣秀吉の逸話
利休屋敷に咲く朝顔がとても見事に咲き乱れて美しいとの評判を耳にした秀吉が、朝顔の茶の湯を所望し、訪れたところ、露地の朝顔はすべて刈り取られ、そこには一輪もない。
秀吉は、大変不機嫌になりました。そんな秀吉が茶室に入り、そこで目にしたのは、たった一輪が、床に活けられており朝の澄んだ空気と静寂の中で輝くように見事に咲いた、朝顔の花であった利休(宗易)は、大変なお褒めにあずかりました。
———————————
原文は、以下。
”宗易 牽牛花みことにさきたるよし太閤へ申し上る人あり さらは御覧せんとて 朝の茶湯の御渡ありしに 朝かほ庭に一枝もなし 尤無興におほしめす 扨小座敷に御入りあれハ 色あさやかなる一輪床にいけたり太閤をはしめ召しつれられし人々目さむる心ちし給ひはなハた御褒美にあつかる 是を世に利休あさかほの茶湯と申傳ふ”
茶話指月集は、利休没後110年に
出版され、信憑性は定かではありません。
利休の逸話から茶の湯の心(侘茶)を
読み取ることが出来ます。
戦国時代と言う大変革時代に、権力者
秀吉に、自分の信念を貫き通した利休
の「一輪の朝顔」に凄みを感じました。
花は黙って色んなことを教えてくれます。
コロナ禍になって咲いた一輪の朝顔の
囁きに改めて人生の糧にしていきたい。
ここまで読んでいただき有難うございます。
関連ブログは以下です。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。