心の扉を開けたらそこは別世界・・・「リーチ先生」から始まった民藝の世界

「心の旅」京都茶の湯ツアーで、見えないものが見えてきた。それは、「自分の心の内を見つめる手法」として、禅にも茶道にもヨガや瞑想にも過程は違うが、自分自身を悟るという共通点はおなじであることが見えてきた。

即ち、禅では「座禅」をとおして修行し、茶道は「茶を点てる」ことをとおして、ヨガは「アーサナを行う」こと、また瞑想をする等の方法で「自分の心の内を見つめる」ことができる。
次なる心の旅の扉は、どこへ向かって開くのか興味深々である・・・


(ハーブ類を使った自家製リキュールやカクテルを楽しめるお店「喫酒 幾星」)
同志との心の旅「見えないものが見えてきた」はここから始まった。

心の扉を開けたもの
同志から「リーチ先生」(原田マハ著)を紹介され、その中に出てくる大分日田の小鹿田焼(おんた焼)の可愛いお皿を自宅に招き入れた。と言う。私は、大分出身ですが、小鹿田焼をまるで知らなかった。アンテナを持っていなかった愚かな自分を反省した!

「リーチ先生」(原田マハ著)

早速、大分市内に住む同級生のマドンナに電話して、そのことを伝えた。
「高校時代までしか大分にいなかったら、生活に密着した小鹿田焼は、知らなくてあたりまえだよねぇ」と言われ納得した。

 

「民藝」としての小鹿田焼は、生活の中でどう生かされているかを聞いた。毎日の生活の中に、小鹿田焼のお皿や茶碗などの食器が生かされている。特に、お祝い事の「引出物」として重宝してると言う。まさに「民藝」の一つである陶器を、日常生活に取り入れた生活が目に浮かぶ。

 

彼女趣味、「俳句の会」で、度々、小鹿田の里や小石原(こいしわら)の里へ、小型バスで訪れた。最後に、小鹿田の里で読んだ俳句が「県知事賞(日本一)」を貰ったと、はにかみながら嬉しそうに語った。

「皿山の冬日跳ねたる飛び鉋」

電話の最後に、「リーチ先生」(原田マハ著)に登場するイギリスの芸術家・陶芸家バーナード・リーチが、小鹿田の里を訪れた話になり、このときは、私は読み終えたばかりで自信をもって会話が弾んだ。

素焼きを行わず、釉薬を流しかける手法で、刷毛目(はけめ)、飛び金(飛び鉋とびかんな)、櫛描き等独特の幾何学模様が特徴である。

 

早速、飛び鉋の茶碗とお皿を購入して、その美しさにほっこりしてます。


話を元に戻そう。
同志から「リーチ先生」(原田マハ著)を紹介され、のめり込んでしまった。

あらすじ
イギリス人芸術家・陶芸家バーナード・リーチと偶々出会った少年髙市・その父亀乃介による日英の芸術を融合させようと奮闘する日々の物語。

日本民芸運動の創始者 柳 宗悦から高村光太郎、河井寛次郎、濱田庄司その他白樺派の文人達など実在の人物と交流が生き生きと絵が画れている。

そのプロローグ(春が来た)は、大分日田の小鹿田の里から始まった。大分弁が随所に出て、思わず、懐かしさに惹かれて、苦笑してしまう。

実際にバーナード・リーチが、1954年(昭和29年4月)に来日し、小鹿田へ訪れ一ヶ月滞在した。その後全国行脚したことは、彼の日記に克明に記されている             (バーナード・リーチ日本の絵日記:講談社学術文庫)

バーナード・リーチ日本の絵日記:講談社学術文庫)

「リーチ先生」(原田マハ著)の書き出しに出てくる小鹿田の人々や里風景は、小説の主人公髙市・その父亀乃介以外は、彼の上記の日記に記述された史実と同じであった。

主人公の髙市と彼の父親・亀之介が、実在したかのように生き生きと綴られており、原田マハさんの小説の醍醐味を味わいました。

 小説「リーチ先生」を読み進めると、バーナード・リーチは、日本民芸館の初代館長となった柳宗悦氏を中心とした「白樺」や「民藝」の同人たちと交わり、近代日本の文学や芸術に大きな影響を及ぼしたことが感じ取れる。

新たな心の扉が開かれた

ここで、またしても私の無知が露呈した。
知っているのは、「白樺」派の志賀直哉、武者小路実篤ぐらい。柳宗悦の「民藝」の美の世界感、バーナード・リーチを最後まで支援し続けたその「心」が知りたくなった。

そして、直ぐに、頭の中に昨年末に、お稽古仲間から頂いた情報を想い出した。なんと、それが柳宗悦氏が初代館長を務めた「日本民芸館」だったのである。

同志と茶の湯のお稽古仲間から、正に、私の「新たな心の扉」が、開かれようとしてる。

点と点が繋がり、私の心の扉を開けて、「次なる世界」へ導かれているのを感じ取った。私にとって、とても豊かな心を持つことができたと同時に、新たな内なる心の気づきで、幸せ感一杯であった。

 

小説リーチ先生、小鹿田焼、そして、柳宗悦氏の民藝、白樺への活動内容へと広がっていく。


特に手賀沼のある我孫子、柳宗悦邸宅に身を寄せたリーチは、「白樺」の志賀直哉等の面々と過ごし、リーチ窯。焼失したが、その時の唯一の傑作が「楽焼駆兎文皿」であった。
見事な出来栄えであった。直感で、いい、いい・・・(笑)

(日本民芸館で購入したバーナード・リーチ作品集の表紙)

我孫子の手賀沼・白樺文学館

我孫子の手賀沼の畔には、思い出が偶然にも、沢山ある。

その一つは、白樺文学館は、私が勤務していた日本オラクル株式会社(外資ITソフト会社)の初代社長・佐野力氏が、この白樺派文人たちの活動を広く次代に伝えるため、寄贈建設されました。
勤務当時、建設されたことは、知っていたが、当時は興味は無かった。

次に、手賀沼の畔にある老人ホームで、私の両親が晩年、過ごした思い出の場所があり、手を取り散歩した光景が目に浮かぶ。

なんと、見えない糸で繋がった奇跡の連続が続き、鳥肌が立つのを覚えています。


(我孫子の手賀沼の風景)

(我孫子の手賀沼の風景)

茶の湯を志す者の次なる「真理」は、「禅と工藝」の背後にあるものとは・・・興味が尽きないが、この「禅と工藝」に関しては、次なるブログで紹介したい。

バーナード・リーチが小鹿田の里で残したもの
それは、①明治以降の工業化への反発(対抗産業主義)②東西の結婚 

小鹿田焼の窯元は、一子相伝」で技術を伝授し続けており、父から子へ子から孫へと受け継がれてきた。従って、十余りも窯元は、すべて代々開業時から続く家々子孫である。

小鹿田の仕事は、実は300年前にこの小石原から伝えられたのである。いずれの源は、豊臣秀吉がその60年ほど前に荒らした朝鮮にある。当時は焼物が、今の旅券のようなもので、捕虜になった朝鮮の焼物師たちは、封建大名によってその領内に住まわされ、厚遇された。小鹿田と小石原の窯元たちは同族である。(本文

①明治以降の工業化への反発(対抗産業革命)②東西の結婚
この日記に、バーナード・リーチ氏は、山奥に住む陶工たちにひきつけられる理由をこう述べている。リーチが訪れた時代は、戦後、昭和29年の4月である。

没個人的な伝統にひかれ、産業革命以来失ってしまった「総体性と謙虚」がそこにあった。

把手を作っていると、私自身より別の何かが仕事をしているような気がする。そしてそれが、疑いもなく、この山奥の陶工たちをひきつける理由なのだ。ちょうど私が、彼らの没個人的な伝統にひかれるように。まさしく、この日私は私を再び東洋に来させるように至った真の動機といったものが、一層はっきりと判った。
それは、巣の中の無名の工人たちを見つけ出し、彼らと共に暮らし働くことから、産業革命以来、私たちが失ってしまった総体性と謙虚さを学びとるべく努めるためである。(本文)

細田知事や役人たちは、戦後の復興に向けて、陶工たちが、農耕をしないですむようになればと力説したが、バーナード・リーチは、それに反対した。

彼らの陶業は、農民の技であり、彼らが育てる稲と同じように自然に則したもので、ほとんど美を意識せずに作られている。彼らは、好きでも嫌いでも、ちょうど種蒔きや植え付けや刈取、四季の収穫をするのと同じように、幅の広い実際的専門知識を持っている。それはいつも変わることなく協同一致が基調をなしている。(本文)

これこそが、柳宗悦氏の民藝の本質に合致し、柳がバーナード・リーチを支援し続けた理由でもある。

即ち、「民藝」とは、

民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界。民衆が日常に使う工藝品である。民家、民具、民画を総称して「民藝」と呼ぶ。「民藝品たること」と「美しく作りたること」には、固い血縁があり、質素こそが慕わしい得である。(民藝とは何か 本文)

「リーチ先生」から始まった民藝の世界

私の「心の扉」を開けるきっかけは、小説「リーチ先生」、その中の小鹿田の里の小鹿田焼、そして、「白樺」、「民藝」のリーダーの柳宗悦、初代館長を勤めた日本民芸館、背中を押されるように、何度か訪れた。

次回日本民芸館に訪れるときは、バーナード・リーチの日記に登場する「人間国宝・芹澤銈介氏、染色作家で「型絵染」の重要無形文化財保持者の作品をじっくり鑑賞したい。

 

最後に私の「心の旅」の源をふと思い出した。
それは、同志、いや茶の湯の先生の企画した2年前の京都ツアーに種蒔きがあった。

その種蒔きが、脳の「無意識」に蓄積され、クオリアとして現れ、「意識」が後つけで認知し、現在に至ったかもしれない。
その時のブログです。
もう一つの京都茶会ツアー・・そこには種蒔きとおもてなしがあった!

次なる扉も見えてきた。「禅と工藝」・・・

心の旅・京都茶の湯ツアーが「ご縁」で、「見えないものが見えてきた」。

さらに、小説「リーチ先生」の中に出てくる小鹿田の里、リーチの盟友である「民藝」、「白樺」のリーダーの柳宗悦の日本民芸館で、新たな心の扉が開いてきた。

次なる心の扉から見えてくる世界は、とても楽しみになってきた。

心の旅は、一歩一歩緩やかに、確実に進んでいけば、新たな心の扉から光が見えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

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