自分とは何かを東洋哲学から発見!・・「神護寺―空海と真言密教のはじまり」特別展にて

最近の興味は東洋哲学で、特に空海の密教の世界に惹かれている。閉会間近な特別展「創建1200年記念特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」へ、念願叶い上野の森へ行ってきた。

上野の森へ行くまで、心の準備ができなくて数ヶ月間、心の旅の放浪を続けていた。茶道のお稽古を続けていると自分と向き合う時間が増え、「自分とは何か」を問い続けていた。

余りにも自分の勉強不足を身に染みて、哲学や宗教、そして脳はなぜ「心」を創ったのかの最新脳科学、禅や工藝、量子力学の視点からみた意識と無意識、チャクラ、そして心のありようの旅を続けてきた。

その結果、難題であった「自分とは何か」を、東洋哲学の中の一つ、空海と真言密教の世界に見つけることができた。

東洋哲学とは

例えば、インド哲学で、メインテーマは、「本当の自分とは何か」であり、そして「答え」を準備している。さらに、楽になるための哲学である。有名な7人の哲学者を紹介しよう。

①ブッタの哲学(無我:自分なんてない)②龍樹の哲学(空:この世はフィクション)③老子と荘子の哲学(道タオ:ありのままが最強)④達磨の哲学(禅:言葉はいらない)⑤親鸞の哲学(他力:ダメな人ほど救われる)⑥空海の哲学(密教:欲があっても良い)

上記の東洋哲学は、「本当の自分は何か」をメインテーマにしており、上野の森で開催されてる特別展
「神護寺―空海と真言密教のはじまり」をワクワクして鑑賞するために、空海の哲学(密教)の真髄に迫ってみたい。
特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」

特別展会場は、平日にもかかわらず大勢の人の熱気で、盛り上がっていた。平安時代の新仏教発展に大きな役割を果たした神護寺。

 

神護寺の本尊として所蔵されている、平安初期彫刻の最高傑作である国宝「薬師如来立像」は、迫力ある容貌とどっしりした体つきを、ゆっくりと360度、裏側の姿も鑑賞できました。

最大の興味であり、眼前に飛び込んできたのは、約230年ぶりの修復を終えた国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」に圧倒された。見惚れていると「本当の自分とは何か」は何処にあるんだろう・・と疑問に対する不安は、一掃された。事前準備の成果であった。

空海と密教
空海が生まれたのは奈良時代末の宝亀5年(774年)6月15日のこと。 現在の香川県にあたる讃岐国に三男として誕生しました。

空海は真言宗の開祖として知られる人物です。弘法大師(こうぼうだいし)空海と表されることもあり、遣唐使として最澄と共に、唐(中国)へ渡った。

密教を学んでから帰国した後、日本で真言密教の教えを説き、開宗したのが真言宗です。又、空海は最高の「書道家」であり、事業家。地元の香川に「満濃池」にダムを完成させた万能の天才であった。

密教
密教は「秘密仏教」の略。「秘密」とは、「生命の秘密」、一周まわって「生命」を大肯定する哲学である。

「本当の自分とは何か」
「本当の自分とは何か」の問いに、東洋哲学はどうこたえるかを考えてみる。

①「禅」では、「本当の自分とは何か」と問われると、円相○を描いて、「そんなものはない、空っぽだ」と応える。

 

②密教は、ブッタだらけの「曼荼羅」が「本当の自分」である。それは、「生命の秘密」ですと応える。

 

密教も禅もすべてが「空」、フィクションであり、密教は、「空」のさらに奥を観ようとする考えで、「生命の秘密」・悟りの中の悟りであると説く。

(左が胎蔵界で右が金剛界の曼荼羅である)

 

密教の世界観(本当の自分と曼荼羅の世界)

胎蔵界と金剛界は、密教の二大曼荼羅で、仏教の宇宙観や修行の道筋を示しています。
胎蔵界の曼荼羅には、真ん中に「大日如来」が、描かれており、空海は、これこそが「ブッタの究極の悟りの状態だ」と言う。

ブッダの悟りの世界は、「全ては繋がっている」、それは「宇宙」そのものだ。ブッタの究極の悟りの状態が「大日如来」であるから、すべてとつながり、宇宙そのものだ。

この様な「ブッタの究極の悟りの状態」は、言葉にすることができない世界である。この言語化ができない世界を「大日如来」という「象徴」として表現した。

 

 

以上、「ブッタの究極の悟りの状態」になれば、私も悟れば、すべてが繋がってる状態で、ブッタと同様である。ブッタも宇宙、私も宇宙となる。これが「密教」の世界のようだ。


空海の密教の目的は、上記で述べた自分が宇宙であり、且つ大日如来であることを「悟」ることである。


空海の密教の悟りの方法(大日如来になりきる)
具体的な方法は、以下の通りです。

大日如来と
①「身」・・手の形(印)を作り、
②「口」:・・真言(マントラ)を唱え、
③「意」・・大日如来の姿を思い描く(密教だから教えてくれない世界)
以上、子供の純真な心をもって実践することで「大日如来」になりきること。

空海の「悟り」世界は、「象徴」を上手く利用しており、その名も「即身成仏」という。 

 

特別展の截金の仏画の世界

特に国宝「釈迦如来像」(赤如来)の前に立つと、超絶技巧の截金が放つ美しさに、平安時代の美意識を垣間見れ大満足でした。

ふと、截金師「長谷川智彩」先生の数年前の個展の平安仏画、曼荼羅が頭を過ぎった
高雄曼荼羅の密教宇宙観、「胎蔵界」や「金剛界」に描かれている仏画や曼荼羅、馬頭観音像や千手観音像菩薩が走馬灯のように思い出された。

左から胎蔵界、中央が馬頭観音像、右が金剛界

(截金:千手観音像)

話を元に戻そう。

弘法大師空海の高雄曼荼羅の密教宇宙観に触れ、感動を押さえ切れませんでした。
事前準備した知識により、特別展での真言密教の上っ面だけは、学べた。

 

展示会の外は茹だるような暑さ。裏庭にある茶屋で、抹茶をいただきながら、大満足な自分と会話している自分がいた。

 

豊かな心
この豊かな心をつかさどっているものは何だろうか・・・

 

西遊記の三蔵法師が、インドから持ち帰ってきた「唯識」にあるように、

西洋哲学では、言語を主として思想や哲学を創り上げ、東洋哲学では、言語だけでなく、言語化できない心を「身体技法」とセットとして、思想や哲学を練り上げていったことが、頭をよぎる。

 

自分とは何か
茶道はじめて内なる自分と向き合い、習慣化された早朝の瞑想で、「自分とは何か」を考えてきた。
ブッタの仏教や空海の密教の世界・東洋哲学に見られるように、「自分とは何か」をそれぞれ教えてくれる。

 

茶道の世界に飛び込んだものとしては、「日日是好日」の著者である森下典子さんの心境になりたい。

森下典子さんは、茶を点てることをつうじで、「別の時間」に滑り込んだり、「濃い時間」に入っていく。すると心の内側で、不思議なことがおこる。それは、「自分ではみえない自分の成長」(本当の自分)が発見されたときだ。

 

上野の森の特別展で得た豊かな心の感動を胸に、秋らしくなったら池の畔で、野点を楽しみたいと思い、特別展を後にした。