古希を超えた初老の私が茶道入門・・その訳は

コロナ禍の中、感染者数も大幅に減少し、趣味で始めた「茶道」の三回目の初釜に参加することになった。

場所は市中の山居である先生の「茶室」茶瞳庵。駅から茶室までの坂道の道端には、蠟梅や椿の花が咲き、そこには、花達と対話する自分がいた。

思えば、入門して三ヶ月で初めて参加した「初釜」、何もわからず不安が募り、同じ坂道の景色は、全く覚えていない。

今年の初釜は、まるで「別世界」、メタバースの中の茶室へ、私であるアバターがゆっくりと歩む姿が映し出されていた。

茶の湯の世界に興味を持った動機
茶の湯との出会いは、母の遺品の中に、お茶道具、お茶を教えている母の写真が沢山出てきたことから始まった。

そこには、私の知らない生き生きとした茶の湯に打ち込む母の姿があり、その世界を知りたくなった。

 母(右端)が亭主:初釜での「炭手前」を見守っている。

興味があるだけで、茶道へ入門できたであろうか?

先日、コロナ禍で伸び伸びになってた高校時代のミニ同窓会で、ある出来事があった。私の近況として、茶道に入門して作法だけでなくその「精神性」である「茶禅一味」の話を始めると、ある友人は言った。

「いい年をして、優雅で高尚な趣味で、ましては、禅という宗教の話は止めて!」と・・・

一瞬、啞然としたが・・・

ふと、団塊世代の私の高校時代の2年先輩、元グーグル日本法人名誉会長の村上憲郎氏の言葉を思い出した。「「食うために働け。そして世界をイメージせよ」

子供たちが、靴も履けなかった貧しい時代に生まれた我々・・・」一生たべれる働き方:PHP新書

 

団塊世代の幼少の頃は、運動会に真新しいパンツや靴も履けない時代があった。そんな時代で育った我々の世代が、

茶道の話に「おカネにも時間にも余裕のある人達の贅沢な道楽な世界に見えたのだろう」・・いじりたくなるのも無理もない話である。

私は少し気落ちした。が、茶道に入門した私は、単に抹茶を点てて飲む手順を学ぶものでなく、精神を整え、

人間性を高めていくための「茶道」の師(茶の湯の先生)との出会い、社中の同志と共にその精神性を探求することの素晴らしさを発見し、のめりこんでしまいました。

茶のこころ(茶道の精神性)

その世界観は、「一期一会」や「和敬静寂」の言葉に言い表されています。

(大徳寺瑞峯院)

茶道に入門して以来、作法を身につけることに必死でしたが、お稽古をとおして「一期一会」や茶室での「和敬静寂」の中で、

掛け軸に書かれた「禅語」に触れ、季節の花や和菓子と共に、抹茶を頂く「至福の時間」を私の心が味わってしまったのです。

茶の湯は、自己の内なる世界と外側に広がる世界見つめる『瞳』となり、生きていく上での羅針盤となる精神性の世界だと感じています。(おうち茶道のすすめ:水上麻由子著

「至福の時間」の探求の変遷
ここ一年は、茶の湯の「自分の内なる心の扉」を開ける喜びを求めた「心の旅」に興味があった。
昨年の京都茶の湯ツアーのあの深夜に、訪れたお店「喫酒 幾星」で、「茶のこころ」を同志と語り合った。そこから私の「心の旅」が始まった。

(喫酒 幾星)

大徳寺で茶禅一味の世界を求め和尚様との座禅をとおして、心の平穏を求める「禅」、柳宗悦氏の民藝、日常の暮らしの中に美をもたらす「工藝」

そして中島岳志著「思いがけず利他」の利他の心に興味を持ち、茶道の精神性の探求の「心の旅」は続いていった。

今年の初釜は別世界
今年の初釜は、「心の旅」で得た茶の湯の奥深さを少しずつ分かってきた。3年前の「初釜」に向かう不安げな自分とは全く違う自分がいた。

茶室に入ると、寄付きには、和服姿の女性の方々、お招きした和服姿の男性が、緊張感の中で談笑し、お部屋は冬の陽ざしが柔らかく、清らかな空気が漂っていた。

(煙草盆 伊勢神宮の古材)
今年の初釜は、社中の方だけでなく、ビジネス茶道の方もお客として招いていた。
初釜の流れは、席入り、亭主の挨拶、「炭手前」「懐石」「仲立」、「濃茶」「薄茶」最後に「福引き」でお開きとなる。
「席入り」


掛物:利休書状五島美術館複製
利休 が亡くなる数週間前に,大切な橋立茶壺を信頼するあなたに預けたいという内容の手紙です。

利休と秀吉との難しい時代背景が読みとれるお軸であったと、後で先生からお話を聞き、しみじみと回想できた。

花:結び柳と椿
床の間の柱には、青竹に結び柳がしなやかにたれ下がり、椿の花が添えられていた。

床の間の中央には、金色の米俵が白木の台に置かれ、初釜の雰囲気を醸し出していた。

炭手前
今年の亭主の代わりにやる私の担当は、「炭手前」と年末に先生に言われ頭の中は、真っ白でした。

でも、お湯が沸かなければ、お茶は点てられない。

そのために「炉」の下火を整え、灰を撒き、新しい炭をつぐ。灰の撒き方、火箸の持ち方、炭のとり方や置き場所まで、細かい手順と作法があって、未熟な私には時期尚早だと内心思った。

炭手前の修練方法(メタバースの世界で修練)
茶道に入門した初心に戻り、社中の同志と「炭手前」のイメージトレーニングをすると励まし合った。

私の「炭手前」の練習方法はメタバースの茶室世界で、自分がお点前をするアバターとなり、「炭手前」の作法を何度もイメージトレーニングを行った。

次に、身体に作法を覚えさせるために、自宅の和室で、炉や羽根はないので、小さな手帚でリアルにお稽古をして当日に備えた。

初釜当日は、年に一度の「和服」なので、その立ち振る舞いが、凛とした姿勢になるようメタバースの茶室で練習した。

普段のお稽古では、痺れが酷く、根をあげて胡坐を掻いてしまうが、緊張感が先立ち、痺れることはなかった。

「香合」
「炭手前」の作法で、「炉」の下火を整え、灰を撒き、新しい炭をつぐ。最後に「香合」から香を取り出し、炉に2粒置く。炭手前の最後の頃には、香の香りが茶室にほのかに漂ってきた。

(紫交趾(こうち)焼 花鳥紋 丸香合)

冒頭で、母の「初釜の炭手前」の写真の世界を、自分が正に初釜で「炭手前」を実践してる。長年の夢が叶ったと心で思った。

ふと、この茶の心・茶道の精神性について、亡き母と「ゼロ・ポイント・フィールド」仮説の「量子真空」の場所で、自分が語り合ってる「別の時間」に入り込んでいた。

これも「至福の時間」で、何事にも変えられない自己との対話の時間であった。

炭手間の最後に、「時分どきですので、粗飯を差し上げます」とご挨拶で、懐石が始まります。

「炭手前」、「懐石」、「仲立」そして「濃茶」「薄茶」のプロセスは、以下写真で紹介することにする。


「懐石」濃茶をベストコンディションで飲んで頂くことが主眼)
最初に折敷(おしき)が出され、向付け(むこうづけ)は、汁物と同時に登場する一汁三菜の「一菜目」にあたる料理が出された。


汁、煮物、焼き物そして強肴(しいざかな)



小吸物、八寸をお酒と共にいただき
楽しい雰囲気が座を和ませてくれました。

食事の終了の合図は客が一斉に箸を
落とす。これは、圧巻でした。

主菓子(常盤饅頭)

主菓子の「「常盤饅頭」は、初釜のお菓子。白い皮と緑の餡子は、雪の降り積もった松の緑を表している」と森下典子さんの好日日記に記述されている。

最後に主菓子(おもがし)亀屋万年堂の常盤饅頭(ときわまんじゅう)をいただいた後、退席し茶事の前段階が終了となる。

仲立
後座(ござ)の席入り前に、床の間の掛物も命のある物へ一変させ雰囲気が変ります。

後座の始まりの合図、銅羅(どら)が鳴り、後座(ござ)の席入り、濃茶、薄茶と茶事の後半が始まりました。

濃茶
茶碗 鳥台

初釜では、内側に金箔、銀箔を貼った「嶋台」という大小のおめでたい茶碗に濃茶を練る。

「しゅーーーーーー」
煮えのついたお釜のたてる「松風」の音がきこえ、「炭手前」担当としてホットする瞬間であった。

薄茶

干支に合わせた菓子
薄茶になると雰囲気ががらりと変わり、打ち解けてきた。

「福引」
最後に車座になって、福引があった。今回は懐紙の参加賞にとどまったが、3年前の初釜とは全く違う別世界があった。そこには、初釜の亭主と正客のおもてなしのやり取りの、心内を読み取ることができる自分がいた。

 

初釜を終えて
昨年の初釜では、「薄茶」を、夏の茶事で、「濃茶」を担当、そして今回「炭手前」をこなしてきた。まだ、亭主と正客の立ち位置は、奥が深く精進することが多いが、やりがいがあると感じた。

古希を過ぎた初老のおじさんが茶道に入門したその訳は、興味本位から始まった。茶の湯の扉を開くと「茶のこころ」と言う奥深い世界が広がり、そこには「至福の時間と空間」があった。

「茶のこころ」の世界を探索する「心の旅」は、始まったばかり。人生100年時代と言われても、古希を過ぎたおじさんには、残された時間は短く感じる。

茶道に入門して数年の未熟者ですが、お稽古を通じ、茶道具の組み合わせに、季節感を共に味わっていきたい。さらに、茶の精神性を深めるため「心の旅」に出かけていくことにする。

そして、季節のように生きてみたい。

春になれば、至る所で草が芽吹き、草木にいっせいに花が咲く。
そんなこと、誰もが幼い頃から当たり前だと思って暮らしている。
だけど、ある日、まぶしい若葉を観て、卒然として気づくのだ。
私たちはものすごく不思議なことに囲まれ、それを不思議とも思わず暮らしているのだということに・・・・。(好日日記 季節のように生きる:森下典子著

 

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