野点の楽しみ方・・・ 茶の湯のお稽古から見えてきた「朝鮮の工藝と利他」の世界

小春日和の気持ちのいい朝、二人は日本民芸館にむかった。それは茶道の先生から「柳宗悦と朝鮮の工藝」の特別展の情報を得て、ピンとくるものがあり観に行った。もう一つのイベントが待っていた。大分日田の小鹿田焼の茶碗で「野点」に初めてチャレンジすることであった。

ご縁により心の扉が開いた
1年前まで、私は「民藝」の話や「日本民芸館」の存在すらお恥ずかしながら、知らなかった。茶の湯のお稽古仲間、今日ご一緒してる彼女のご縁で教えてもらった。一年前は、まだ、心の扉は閉じられたままであった。

もう一人の茶の湯同志から「リーチ先生」(原田マハ著)を紹介され、その中に出てくる大分日田の小鹿田焼(おんた焼)の可愛いお皿を自宅に招き入れた。と言う。

私は、大分出身ですが、小鹿田焼をまるで知らなかった。アンテナを持っていなかった愚かな自分を反省した!

私は、小説「リーチ先生」にハマってしまった。イギリス人芸術家・陶芸家バーナード・リーチと日本民芸運動の創始者・ 柳 宗悦から高村光太郎、河井寛次郎、濱田庄司その他白樺派の文人達など実在の人物と交流が生き生きと小説に描かれている。

ここで初めて、「日本民藝館」を教えてくれた彼女のことを想い出し、「ご縁」の有難さや社中の繋がりに驚いた。

柳宗悦と朝鮮の工藝
日本民藝館に入ると、「柳宗悦と朝鮮の工藝」の特別展が開催されていた。
柳宗悦は、「茶と美」の著書に、陶磁器の美、喜左衛門井戸を見る、高麗茶碗と大和茶碗の各章で、
朝鮮の工藝・主に飯茶碗を中心にその美しさを述べている。

(大名物:喜左衛門:大井戸茶碗「唯一国宝)
茶人達の間では、茶碗は「高麗茶碗」と言われ、その美しさを誇っている。茶碗には、唐物(中国)、高麗(朝鮮)、和物(日本)に分類される。

井戸茶碗(喜左衛門)の美
この高麗茶碗で有名なのが井戸茶碗で大名物(喜左衛門の井戸)である。

この高麗茶碗は、名もない朝鮮の工人が、貧しい日々の生活に使う飯茶碗を「雑器」として製作していた。

それを初期の茶人達(武野紹鷗/利休)が眼力を持って美しいと感じ、「飯茶碗」を茶の湯の茶碗として用いた。

初期の茶人達(紹鷗/利休)が、高麗茶碗(飯茶碗)を茶の湯の茶碗として用いなかったら、今の茶道は無かったであろうと柳宗悦は言う。

初期の茶人達(紹鷗/利休)は、器を見分ける「眼力」を持っていた。

それは、素直なもの、質素のもの、簡単なもの、「無事」なものである「雑器」に、目を注ぎ、その品々は、無心な心で生まれた。これら「謙遜」なものは、美と血縁が深い

あの大名物は、かつては貧しい雑器であった。その美しさは質素な性質から湧くのである
謙譲の徳なきものは良き茶器にはなれぬ。(茶と美)P154

古来茶道と禅道とは密に結び合う。物を介して禅を修するが、茶道である。(茶と美)P158
工藝の美しさは何処から(他力)
柳宗悦は、「美の事など知らぬ無名の職人達が沢山作る品物が、どうして美しくなるのか?」
を以下で説明した。
彼は、はたと気づいた。ものの美しさは、上記の宗教的救済によってもたらされた。
そして、人もものも、すべてが救われる「浄土」が現存すること人々に伝えようとした
具体的には、柳は、浄土真宗の真理(他力)にある「凡夫成仏」を、民藝の品物に当てはめて、美しくなると考えた。

即ち、「凡夫のままで、そのありのままの姿で、阿弥陀仏から救われていく」を

民藝に置き換えてみた。

無名の職人(工人)が、無心で作る民芸品が、美しくなる

 

ここに、工藝品の美しさが来た理由を、浄土真宗の真理(他力)に求めたのである。

柳宗悦が言う「宗教が美となった例」が二つある。
①禅という宗教が茶道の美
茶人は、本人さえ希望すれば、茶室において、禅の悟りの境地に到達することができる。
②浄土教と言う宗教が、「阿弥陀仏の本願」(他力)をとおして、民藝の美
 民藝の美にうたれたものは、そこに働く伝統に思いをいたし、そしてそこに「他力」を感ずることができるのである。(茶と美)

この点を理解するのに時間がかかった。

幸い貴重な大井戸茶碗銘「山伏」を特別展で鑑賞でき、工藝の醍醐味を味わえたことに感謝です。確かに「いい!」

 

初めての野点
午後からは、初めての「野点」で近くの公園に行った。
お天気が良く、秋の紅葉で、落葉がゆらゆらと舞い落ちる中、野点の準備をして抹茶を点てた。

敷物は、民藝の大家・人間国宝の芹沢銈介氏のデザインしたもの。二人の敷物は、申し合わせたように、なんと!芹澤啓介の同じものであった。
豊かな心

各自思い思いの茶箱やお茶碗の話で盛り上がった。

特に、ご一緒した彼女は、小説「リーチ先生」に刺激を受け、大分日田の小鹿田の里へ弾丸旅行をやってのけた。

そこまで至った心の動きを、目を丸くして小鹿田の里の旅を楽しそうに話す。

小鹿田(おんた)焼は、抹茶用の「茶碗」は作陶してなく、飯茶碗か湯吞茶碗である。

 

まさに、日本民芸館で観てきた「工藝品」の一つである。仲良く並んだ大小の茶碗は、まるで兄妹のようです。「飛び鉋」の文様が、秋の日差しで輝いてます。

そのとき、落葉がひらひら舞う光景を観て、彼女が「豊かな心を感じてとても嬉しいです。」と語った。

辺りは、秋の陽射しに包まれた木々の間から、木漏れ日が野点の二人を照らしていた。時間はゆったりと流れ、小鳥のさえずりが遠くから聴こえてくる。

この「豊かな心」は何処から来るのでしょうか?               

「自分の心の内を見つめる手法」として、禅にも茶道にもヨガや瞑想にも過程は違うが、自分自身を悟るという共通点はおなじであることが見えてきた。

即ち、禅では「座禅」をとおして修行し、茶道は「茶を点てる」ことをとおして、ヨガは「アーサナを行う」こと、また瞑想をする等の方法で「自分の心の内を見つめる」ことができる。

我々二人の社中の者は、茶道をとおして、内省することで沢山の「気づき」を得ることができる。
この気づきの積み重ねで「豊かな心」を感じることができたのだと推測できる。

豊かな心は何処からやってくるのか?

脳はなぜ「心」を作ったか」著者の前野隆司さんの受動意識仮説によると、

それは「意識」は「無意識」に対して受動的であり、「意識」は幻想のようなもの(クオリア)が「豊かな心」を作り出しています。

仏教では「自己意識」は、幻想のようなものとした「無我」が大切だと説く。

仏教での「無我の我」というあり方

仏教では、「無我の我」というあり方が説かれている。

無我というのは、アートマン(意識の最も深い内側にある個の根源を意味する)の否定です。
世の中は無常であり、常に変化の途上にあります。「我」もまた無常で、変わりゆく存在です。

私たちは、日々新たな出会いを繰り返しながら、生きています。これが「縁起」です。

今の私が特定の価値観を持って生きていることは、複雑な「縁」の相互関係によって成り立っている。

この連鎖により私のあり方はどんどん変化していく。これが「無我の我」です。

この「縁起」による「無我の我」という考え方は、「私への固執」から私を開放し、無限の扉を開いてくれる。

仏教での「無我の我」を考えると、「豊かな心」の出処に光が差してきた。

禅と茶の湯、工藝、そして利他の心などを、話題にしつつ、満ち足りた「豊かな心」で、夕陽が沈む公園を後にした。