想いを込めた棗が届いた・・・死は存在しない(ゼロ・ポイント・フィールド仮説)を読み解く

半年前に素の状態の黒柿の「長棗」に、截金漆を用いたデザインを考えることになった。直ぐに、「蝶」にまつわる景色が頭を過ぎった。そのイメージを友人の工芸品截金師の長谷川天幸さんに伝え、飛び上がるほどに素晴らしい作品ができ、我が家に招き入れた。その蝶をイメージした截金漆の「長棗」をとおして、あちら側の人とのコミュニケーションが始まった。


(長棗:黒柿 銘:「バタフライエフェクト」)

あちら側とのコミュニケーション
「蝶」にまつわるコミュニケーションの思い出は、二つある。その一つは「私のお気に入り」ともう一つは、「意識の不思議な体験」である。

蝶に関する私の若い時からの、お気に入りの言葉がある。
「蝶」
二つ折の恋文が
花の番地を探してる
(博物誌:ルナール著)

「蝶」を「二つ折の恋文」と表現し、飛んでる様を「花の番地を探してる」。初恋のときの「ときめいた」感性を、この短い文章に感じたことを覚えてる。何か日本の俳句に通じるものが、西洋にもあるんだと思った。

まさに、長棗の「蓋」に描かれた「蝶」が、長棗の「横」に描かれた截金漆の文様である「花の番地」を捜してる様子が見て取れる。「截金漆」の真髄を味わった。

大満足の長棗を眺めていると、いつしか無意識がそうさせたのか、「意識の不思議な体験」のことを想い出した。

意識の不思議な体験
両親が住んでいた実家の解体の日程が決まり、家財の整理に訪れた。その時、玄関先の花に、アゲハ蝶が急に舞い降りて中々帰ろうとしない。何度も何度も私の見てる前で、蝶が舞っている。その時の動画を添付します。
(YouTubeで公開してます)


 (舞い降りてきたアゲハ蝶)

まるで、亡き両親が蝶に成り代わり、語りかけてくる。一瞬、目をつむった。いつしか、幼少の頃の風景や、実家を建てたばかりの頃の情景や元気だった両親の姿、走馬灯のように頭を掠めていった。

6歳の頃、中央が筆者)

(取り壊す前の実家)


(若かりし頃の両親)


私のお気に入りの短い文章とあちら側の世界と現実が、まさに結びついた瞬間であった!亡き両親との想い出を、解体間近の実家で引き合わせてくれた「蝶」に感謝し、心の中で合掌した。

「意識の不思議な体験」の一つ、シンクロニシティを体験した。このような「意識の不思議な体験」には、直感、視線感応、以心伝心、予感、予知、既視感(デジャブ)があり最先端量子科学が解き明かす仮説に巡り合った。それは「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」である。


(光文社新書:田坂広志著)

この最先端量子科学による「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」では、上記の「意識の不思議な体験」を、理論的根拠を示し説明でき、且つ、「死」は存在しなく、亡くなった両親とも「ゼロ・ポイント・フィールド」で、逢うことができる。・・・のだそうだ。

「蝶」にまつわる「意識の不思議な体験」をしたばかりだったので、両親と対話することができる世界に興味津々、覗いてみたくなった。

両親が亡くなってから、私は、茶道に入門し、母がお弟子さんと「茶の湯」を楽しんでる写真を観るにつけ、母と「茶の湯」についての「心の内なる気持ち」を、話したくなることが度々あった。

(初釜のときの炭手前)

最先端量子科学による「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」


ゼロ・ポイント・フィールド仮説とは、この宇宙に、普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と言う場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が、波動情報として、ホログラム原理で「記録」されているとうい仮説である。(本文)

これだけでは、理解不足になるので、「宇宙」の誕生と「量子真空」を見てみよう。

宇宙と量子真空

宇宙と「量子真空」との関係
量子真空」があるとき、ふと、「ゆらぎ」を起した。その瞬間、この「量子真空」が極微小の宇宙を生み出し、それが、急激に膨張し始めた。・・・そしてその直後、この宇宙の萌芽が、大爆発(ビックバン)を起し、現在の宇宙が誕生した。(ビックバン宇宙論)

ビックバンを起したこの宇宙は、光の速さで膨張し、138億年かけて、現在のような壮大な広がりを持つ宇宙になった。そして、宇宙の片隅に、太陽という恒星が生まれ、その一つの惑星であるこの地球に、様々な生命が生まれ、豊かな生態系が生まれ、そして、我々人類が生まれた。

なかなか難しい感覚ですが、我々の生きているこの世界の「背後」に「量子真空」と呼ばれる無限のエネルギーに満ちた世界が存在している。これが、「ゼロ・ポイント・エネルギー」と呼んでいる。

量子物理学のミクロの視点からは、我々が日常的に感じる「物質」は本来存在しない。

宗教の世界と「ゼロ・ポイント・フィールド」の類似点

仏教の「唯識思想」では、我々の意識の奥には、「末那識」があり、その奥には、「阿頼耶識」があり、この世界過去の出来事のすべての結果と未来のすべての原因となる「種子」が眠っている。

また、「古代インド哲学」では、「アーカーシャ」の思想がある。これは、宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報が「記録」されている場である。

以上、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説と非常に似た思想があることに、驚きを感じる。「最先端量子科学」と「古代の宗教」の一致は不思議でならない。

我々の「意識」と「ゼロ・ポイント・フィールド」繋がり
この視点が、本書のポイントだと感じました。その理由は、「ゼロ・ポイント・フィールド」では、「過去から現在に至る出来事」について、膨大な情報が存在しており、

もし、我々の意識が「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がるならば、それらの膨大な情報に触れることができるため、「未来に起こる可能性ある出来事」についても知ることができる。

我々の意識が「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がる理由
(最先端脳科学・量子脳理論によれば)
我々の「意識の場」である「脳や身体」は「ゼロ・ポイント・フィールド」と量子レベルで繋がることができるからである。

意識の世界(五つの階層)がある
①表面意識(自我・エゴ)⇒ネガティブな想念⇒フィールドに繋がらない
②静寂意識(賢我・瞑想)⇒もう一人の自分 ⇒フィールドに繋がりやすい
③無意識 (無我・直感)⇒引き寄せの法則 ⇒フィールドに繋がる
④超個的無意識(超我 )⇒シンクロニシティ⇒フィールドに繋がる
⑤超時空的無意識(真我)⇒予感・予知   ⇒フィールドに繋がる

ここで重要なことは、フィールドに繋がるには、瞑想、座禅、ヨガ、祈願、祈祷などの
「心の技法」を学ぶことである。

私は、毎朝「瞑想」をやっていますが、静寂意識(賢我)にも達せず、もう一人の自分にも合うこともできない。

我々の意識が、「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がる意識階層は、静寂意識(賢我)、無意識(無我)、超個的無意識(超我)、超時空的無意識(真我)のときである。意識が繋がるには、「心の技法」である瞑想や座禅やヨガで、修行する必要が有ります。

「神」や「仏」や「天」は「ゼロ・ポイント・フィールド」と同じ
もっと大きな視点から、
「神」や「仏」や「天」とは、宇宙の歴史が始まって以来の「すべての出来事」が記録され、人類の始まって以来の「すべての叡智」が記録されている「ゼロ・ポイント・フィールド」に他ならない。

即ち、「科学」と「宗教」の不思議な一致がある。と言う。

例えば、仏教の経典「般若心経」「色即是空 空即是色」は、この世界(色)は、すべて「真空」(空)から生まれてきた。

また「旧約聖書」、天地創造を語った「創世記」の冒頭一説に、神は、「光あれ」と書かれている。神がこの世界を創ったとき、最初に「光」(光子)が生まれたとに述べられている。

上記「科学」と「宗教」の一致は、仏教の僧侶やユダヤ教の聖職者の「意識」が、「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がり、それぞれの経典や旧約聖書を記したと考えてもおかしくない。と感じてしまう。

最先端量子科学が解き明かす「死後の世界」
最先端量子科学では、「我々の意識」は、「ゼロ・ポイント・フィールド」内に「現実世界」とその奥にある全く同じ「深層世界」が存在し、波動情報としての「現実自己」と「深層自己」が存在している。

「現実自己」が死を迎え消え去った後も、我々の「意識」は、フィールド内の「深層自己」へ移行し拡大を続ける。即ち、自我意識(エゴ)の世界である「現実自己」は死と共に無くなり、同時に、「深層自己」自我を超えた意識(超自我意識)になっていく。

まとめると死後の世界は、
我々の意識は、「現実世界」の「現実自己」が死を迎えた後、このゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に中心を移し、生き続けると考えている

我々の意識が、死後の世界の人々と繋がるには、現世では、「心の技法」(瞑想や座禅等)をとおして、修行し、我々の意識の階層、静寂意識(賢我)、無意識(無我)、超個的無意識(超我)、超時空的無意識(真我)に繋がるよう修行する必要がある。

我々が死んだ後は、我々の意識は、「ゼロ・ポイント・フィールド」内の「深層自己」の中へ移動し、「自我を超えた意識」すなわち「超自我意識」(超我、真我)へ移る。そこは、人生の苦しみも消えて、「至福に満たされた世界」が広がっている。まさに、仏教でいう「成仏」「涅槃」の世界に入っていく。

死後、我々は「肉親」と再会できるか
我々が死んだ後は、我々の意識は、「ゼロ・ポイント・フィールド」内の「深層自己」の中へ移動し、「自我を超えた意識」すなわち「超自我意識」(超我、真我)へ移る。そこで「肉親」と再会出来る。

再会できる肉親は、自我意識は消えた「超自我意識」の意識を持っておりで、現実世界の肉親とは異なっている。そこでの「肉親」の意識は「超自我意識」で、自分と他者を分けず、「自他一体」に意識である。まさに仏教でいう「真我」である。

 

まとめ
①蝶にまつわる「意識の不思議な体験」・シンクロニシティは、最先端量子科学・「ゼロ・ポイント・フィールド」に我々の意識が、繋がることで科学的に説明できており、理解はできる。

また、
②亡き両親と語り合うことができるか?・・についても、私の意識が「ゼロ・ポイント・フィールド」内に繋がれば、深層世界の深層自己「超自我意識」を持った亡き両親と逢うことができ、語り合うことができそうだ。と感じた。

 

しかしながら、我々凡人の意識が、ゼロ・ポイント・フィールド内の「超自我意識」(超我、真我)繋がることは、悟りを開くように非常に困難である。

 

③日常、瞑想や座禅をとおして、「私とは何か」を内省しているものとして、明るい光が見えてきました。「私とは、この自我意識である」を信じる限り、私の意識がゼロ・ポイント・フィールドに移った後、いずれその自我意識が消え行く、そして「超自我意識」へ変容していく。このことも理解できる。

 

④「ゼロ・ポイント・フィールド」の世界を、京セラ創業者の稲盛和夫さんは著書「心。」の中で、
語ってます。

真我と万物を万物たらしめている「宇宙の心」が、そこから発した「利他の心」は現実を変える力を有し、おのずとラッキーな出来事を呼び込み、成功へと導かれるのです。と・・・

また、数学者岡潔さんも、『一葉舟』の中で、「真の自分の心」(真我)を説いています。
「真我の心は同体大悲である。

これは「ひとの心の悲しみを自分の心の痛みのごとく感じる心という意味である。」心とはここでは、情的にいえば、という意味である。」と言う。

 

ここにも、最先端量子科学としての「ゼロ・ポイント・フィールド」の世界が、実業家や数学者が語る(宗教)と同様であることが見えてきた。面白いですね。

 

手元にある「長棗」を招き入れたことから派生して蝶の話、そして「意識の不思議な体験」・シンクロニシティへひろがり、それを解明する最先端量子科学、「ゼロ・ポイント・フィールド」へたどり着いた。
新たな「心の扉」が開いたことに截金漆の長棗の作家・長谷川天幸さんと両親へ感謝したい。


(花の番地の文様・截金漆)


(表千家 茶道 自宅の茶室で教えていた母の姿)

截金漆の工芸作家・長谷川天幸さん
截金の実演
https://www.facebook.com/reel/1480694692469183