今年、2026年のNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」を、毎回楽しみに観ている。先日の「姉川の戦い」で藤堂高虎が登場した瞬間、ふと、約三年前の記憶が蘇った。藤堂伯爵家伝来とされる『黄金の茶道具一式』のオークションの下見会。茶道を嗜む私を気遣ってくれた、画商・美術品鑑定の友人のご縁で参加できたことの日のことだ。
警備員がいる静かな部屋に、「黄金の茶道具」が、鎮座していた。茶碗、天目台、茶入れ、釜鐶、風炉、蓋置、建水、杓立、火箸・・・。その一式が放つ眩しい光を前に、私はしばらく言葉を失った。その時はまだ、その黄金の茶道具が、やがて我が故郷・大分佐伯の初代藩主、毛利高政に繋がっていくとは、夢にも思わなかった。

(金茶道具一式、茶碗、天目台、茶入れ、釜鐶、風炉、蓋置、建水、杓立、火箸)
3億円の黄金の茶道具と藤堂高虎

藤堂高虎は、生涯多くの主君に仕え、築城の名手としても知られる戦国屈指の智将だ。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の秀吉、秀長そして最後は家康にも重用された彼と我が故郷の藩主・毛利高政には、実は深い「命の絆」があった。
私が一番興味を惹かれたのは、毛利高政(佐伯藩初代)と藤堂高虎の二人の関係でした。
調べると実に興味深い事実が浮かび上がってきた。
①高政と高虎は盟友と呼べる関係でした。朝鮮の戦場、鳴梁海戦では藤堂高虎らの水軍の目付として関船に乗船して戦ったが、戦闘中に船が沈没して溺死しかけ、高虎の従弟の藤堂孫八郎に救われて危うく一命を取りとめた という命がけの縁があります。
②佐伯藩誕生の立役者:関ケ原の戦い
関ヶ原の戦いで、高政は当初西軍に属して田辺城攻めに参加しました。西軍が敗れた際、高政は本来なら改易(取り壊し)されておかしくない立場てあった。
しかし盟友の藤堂高虎の説得、九州で留守部隊を率いていた東軍の黒田如水(黒田官兵衛)からの勧誘もあり、東軍に寝返った。
高虎の強い取り成しもあり、慶長6年(1601年)4月5日、徳川家康の命令で高政は同じ石高での日田から佐伯栂牟礼城以下2万石に移封され、ここに佐伯藩が成立した。
歴史のロマンに思いを馳せて
我が学び舎高校の浦山に佐伯城址があり、近くに高政が葬られている養賢寺がある。高校時代にはさほど興味持たず通り過ぎていた風景だが、今、猛烈に故郷を訪ねたくなっている。
城山に登り、歴史博物館を巡り、そして養賢寺で坐禅を通して毛利高政を偲んでみたい。
毎朝の日課になっている「瞑想」で、ふと想像する。秀吉と利休は、黄金の茶室何を語ったのか。
ご褒美に頂いた高虎は、「黄金の茶道具」一式でどんな想いで、茶を点てたのか・・・
ロマンがあり、楽しくなってくる。
毛利高政はどんな人
九州のキリシタン大名で佐伯藩初代藩主の毛利高政は,鉄砲名人で自ら毛利伊勢守流砲術を創始した。又、幕府のキリスト教禁教令が厳しくなる中でも信仰を隠し通し、佐伯にて没しました。
まとめ
藤堂家の言い伝え名宝「黄金の茶道具一式」のオークションの下見から、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の「姉川の戦い」で藤堂高虎がドラマに登場。

高虎が毛利高政(初代佐伯藩主)と盟友であった。
二人の盟友関係を辿っていくと、「藤堂高虎なくして佐伯藩主の成立はあったのだろうか?」
の本当の意味が理解でき、歴史のロマンを感じた。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の今後の展開で、藤堂高虎の活躍がどう描かれて行くのか・・
興味津々です。












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