野球殿堂入りした「小さな大投手」山中正竹さん・・・殿堂入りした本当の理由!

今年2016年1月、野球殿堂入りした、
山中正竹さん(68)大分佐伯鶴城高校卒・
法政大学卒の祝賀会が盛大に行われました。
祝賀会で披露した「監督」論、奥が深かったですね。

IMG_7124
山中正竹さんの略歴をご紹介しておきます。
小さな大投手の名を持つ山中正竹さんは
団塊世代、私の高校時代の1級先輩です。

大分県立佐伯鶴城高等学校を卒業後、
法政大学に進学し1年次よりエースピッチャー
として活躍。

一年先輩の田淵幸一、山本浩司、富田勝ら
「法大三羽ガラス」と共に、東京六大学リーグ
における法政大学の黄金時代を形成する大きな
原動力となりました。

あまりにも有名な話ですが、在学4年間で
残した通算48
勝は、六大学リーグの最多勝
記録であり、あの
江川卓さんも47勝です。
 IMG_7383

大学卒業後は住友金属工業に入社し、
野球部の中心選手として活躍。

1980年に現役を引退し、翌1981年から
住友金属の監督に就任。

また、バルセロナオリンピック(1992年)では
日本代表監督として、二度のメダル獲得に
大きく貢献しています。

 IMG_7145
指導者としての力量を発揮した時代が続きます。

1994年に母校法政大学の監督に就任。
退任するまでの8年間に、六大学リーグに7度、

全日本大学野球選手権大会に1度優勝(1995年)
するなど、指導者としても法政黄金時代を
築き上げました。

2004年、横浜ベイスターズの専務取締役に就任。
現在は母校法政大学の特任教授です。

 この様な経歴をもつ山中さんの監督論が
ユニークで面白い。
IMG_7149
日本の野球で米国と比べもっとも遅れてるのは
「監督」業である。


野球技術・トレーニング方法・メンタリティは
あるレベルまで取り入れられた。

一般的に「名選手は必ずしも名監督でない」。

「監督は選手と同様戦力である。」
即ち、9人の選手+監督=10人で、監督は戦力だ。

この考え方が日本では、遅れていると言う。

例えが面白い
監督の服装。オリンピックの球技は26~27
種目ありますが、監督が選手と同じユニホーム
を着用する競技は野球だけだそうです。

これは、野球の監督が選手と同等に、
勝敗を決める重要な「戦力」だということの証
だそうです。

特に1点差、2点差の試合ではその重要度が
高まると、強調されていました。

世の中に、元プロ野球選手が監督になり
リーダーシップ論の書籍が目にとまります。

山中さんの監督論は同じユニフォームを着ている
監督も試合を決める「戦力」であり、選手との

コミュニケーションを徹底することにより、
監督と選手の「信頼」関係が出てくる。

祝賀会での山中さんが野球殿堂入りの
本当の理由を言いたかったのは

指導者としての評価、その理論的な
背景は「監督論」にあったと。

以上、講演内容をまとめてみました。

1.人生の転機の瞬間に、先を見る目・
アンテナを持っていた。

・大学の野球部に入部して「監督」の囁きに
素早く反応した。この決断が、大学時代の
48勝の大記録に繋がった。

プロ野球には行かず住友金属工業で野球を
続け、その後監督、母校の野球部監督、

バルセロナオリンピックの野球代表監督で
メダルを獲得する。

2.野球人として幅広い人脈とグローバルな
視点と理論
の裏づけがある。


 ・ノンプロの監督として、オリンピクの代表監督として
指導力を発揮し、成功に導いた。

3.人として魅力的であり、選手から慕われ、
モチベーション
 をアップっする繊細さを
持ち合わせている。
IMG_7147
この写真のように「小さな大投手」の手のひらから

今回の「野球殿堂入り」した本当の理由が
伝わってきた感じがしました。

2020年の東京オリンピックでメダルが取れるよう、
且つ次世代の野球界を担う指導者つくりに
貢献して頂きたく期待しております。

ここまで読んで頂き有難うございます。
面白かった、為になったと感じたら、「twitter」や「はてなブックマーク」
ボタン押してして頂けると嬉しいです。モチベーションアップにつながります。