立冬!茶の湯の世界では、お正月・・・初心者の頭は真白

茶の湯のお稽古を始めて丁度1年がたった。今年は立冬が過ぎたというのに季節外れの暖かさで、駅からお稽古の茶室までの坂道を登りきると薄っすらと汗をかいた。

さらにコロナ禍の中、十分な感染対策の環境の下で、マスクを付けて、お稽古する茶室へ入った。お茶の世界の「お正月」で、風炉から炉に替わる「炉開き」の光景があった。

一年前に入門して毎回緊張の連続のお稽古でした。初釜の初体験を終えて、本格的お稽古が始まったが、コロナ禍の中、2月中旬で延期になった。

その後は、先生のご厚意でZoomでのオンライン茶道に切り替わり、お稽古を続けたが気持ちが入らない。心の中でこれでいいのか?と何度も呟いた。

茶道のお稽古は茶室に赴き、作法に没頭することで身に着くと感じます。

先生との会話から茶道の歴史だけでなく、こころの内を語り合えることも茶道の良さです。

以下、初心者である私が改めて炉開きのお稽古を体験して「備忘録」として記載しておきたい。

炉開きと茶人の正月

炉開きは、お茶の新年度のスタートで、その年に摘んだ茶葉の「新茶」をこの日から使い始める。だから茶人たちは、炉開きのことを「茶の正月」とか、「茶人の正月」と呼ぶ。

一般的な新茶の季節は初夏だが、抹茶は、新芽を加工し、茶壷に入れて封印し、旨みの出るのを待つ。ワインを樽の中で寝かせ、熟成するのを待つのに似ている。

昔の茶人は、炉開きに客を招いて、食事付きの正式な祝いの茶会で、新茶の封を切ったそうだ。ソムリエがワインの栓を開けるように、茶壷の封を切り、新茶を取り出し、これを茶臼で挽いて抹茶を点て、客にふるまった。
これを「口切りの茶事」という。(好日日記 森下典子著:PARCO出版


利休の頃の「炉」の季節、「風炉」の季節はどのようだったのでしょうか・・

”利休ハ柚の色つくを見て口切を催し、織部は樅のわか葉の出る此、風炉の茶湯よしと申されき(茶話指月集)””

現代語訳:利休は柚の色づくのを見て口切を催し、古田織部は樅の木の若葉が出る頃に風炉の茶の湯にするのがよいと申された。

茶室に入ると、生徒は私を入れて二人、炉の炭火からのぬくもりが伝わってきた。

先月(10月)までの「風炉」の世界でやっと薄茶点前を覚えたのに、「炉」になると作法がことなる。

武田先生(日日是好日:森下典子著)の「風炉のことは忘れなさい。」の言葉がよぎった。

今日は床の間に飾ってある「飾り壺」を使った「口切り」のお稽古をします。」と先生の言葉。


お軸:禅語「白珪尚可磨」(はっけい なお みがくべし)

「口切の茶事」のお話を聴いて、口切の作法が始まった。

私は客の立場で「飾り壺」の拝見をした。驚いたことに飾り茶壷を横に倒し右から左へ回転し、拝見する。

このとき母の茶の湯の遺産道具の中に、「飾り壺」が頭の中をよぎった。



実家で「口切の茶事」らしきことをやってた母の写真が出てきた。床の間には、飾り壺があり、初心者である私には、茶の湯の奥深さの話を亡き母から聴きたくなった。

炉と風炉
お茶の世界では二つの季節がありそれぞれ作法が異なる。11月から4月まで使われる「炉」と5月から10月までの「風炉」の世界がある。

お茶では、二十四節気の「立夏」頃、「炉」から「風炉」へと模様替えが行われる。十一月から四月まで使われる「炉」は、いわば小さな囲炉裏だ。囲炉裏に窯をかけて湯を沸かし、それを客が囲めば暖がとれる。けれど、夏場は、逆に火を遠ざけたい。だから、「炉」を塞いでしまうのだ。(好日日記 森下典子著:PARCO出版

「口切り」のお稽古の後、お濃茶の点前をやることになった。

男性点前のでは、茶入を清める際の「胴拭き」は、独特の作法で、一連のお濃茶の流れを始めてやったが、汗だくで、足は痺れて立ち上がれない。

 

お濃茶は茶事のメインイベントなので、初心者の私には、もう少しお稽古して、その醍醐味と味わいを伝えていきます。

ふと気が付くと「炉」の炭の火が茶室をほのかに温め、非日常の世界に浸る。

炭は火鉢や七輪で使われており、幼少の頃を思い出させてくれた。当時、炭は日常の世界の必需品であった。僅か60年ほど前である。

お茶の世界の「お正月」である「炉開き」の初体験で頭の中は真っ白、痺れた足をいたわりながら、茶の湯の奥深さに触れ、ワクワクしながら茶室をあとにした。

ここまでお読みいただき有難うございます。

 

 

以下関連ブログはこちら↓