自分史に苦笑・・・天国の父の声・・

父の三回忌が終わり落ち着いた頃、
「お父様の自分史」の原稿をお返し
お礼を言いたい旨、茨城県立藤代紫水
高等学校の先生から電話が入った。

学校の授業の資料として使ってるそ
うだ。

実家の近所に住んでいた県立高校
社会科の石本先生に「父の自分史」の
ノートを貸し出していた。

その先生の主催する社会科研究クラブ
では、父の自分史、大正・昭和・平成
の98年間の時代を勉強したそうです。

その先生とクラブの部員7人と茨城
取手駅で合流した。

社会科研究クラブは、歴史を単に
学ぶだけでなく文献やその時代を生き

た方々の自分史等を題材に活動して
いるとのこと。

父の「自分史」がクラブの研究課題に
役立ったと各部員と先生から報告が
あった。

父の自分史は、90歳を超えてから
書き始めたようです。

過去の新聞記事を集めてその時代の
出来事に、自分の一生を重ねて書き
始めました。

私も改めて読み直し、98年間の
歴史は、あまりにも重いと感じました。
(大正7年3月30日生)

大正時代・戦前・戦争中の怖さ・
戦後のどさくさ、定年退職、定年後
の趣味の世界等、長い人生歴史です。

NHKのTVで「ファミリーヒストリー」
を観るたびに私のルーツにも興味が
湧いてきた。

母方は、戦後の農地改革がある前ま
では14代も続く裕福な地主、

父方は、小規模の地主でそれほど豊
かではなかったようです。

東日本大震災から6年が経ちました。
1度しかない人生で、関東大震災、
東日本大震災と巨大地震に遭遇した人も
数少ないと思います。

関東大震災のくだりがある・・
「1923年、大正12年、私は5歳
昼に地震が起きた。

竹林が家の前20mの所にあるのだが、
子供の足ではあの大きな地震では、
早くと言われても逃げられない。

新聞が2〜3日間止まった。情報は
入らない。

西の空、東京方面の夕日が何時も
真っ赤な夕日が見られるのに真っ暗闇
だった。

4日目頃になると東京火災で焼けた灰
、白と黒の灰が雪の様に降り始め、

4、5日間降り続いた。
デマだが「朝鮮が来る竹槍を用意しろ」
—————————————–

「98年間の父の自分史」を教材に
使用し、且つ「社会研究クラブ」の
資料に少しでも役立った事に感謝し
ます。

社会研究クラブ員の方々と面会し
若さにエネルギーを貰いました。

今後の彼等の未来に幸あれと願い
つつ指導された石本先生に感謝を
申し上げます。

98年間の自分史の詳細は、折に触れ
ブログに取り上げたいと思ってます。

95歳・96歳作:絵手紙

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ます。

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